わたしが"du"と歌う時

 あっちへ行ったりこっちへ行ったり、ふらふらしていると色んな人が寄ってたかって私に言いたいことを言ってくれる。もちろん善意でありがたいことではあるけれど、それらの言葉が自分の心にいまいち響かないのでなにかしらん、と思っている。

 自分の疑問は具体的に言うと「皆そんな大層なことを伝えたいと思って歌っているのだろうか?」ということだ。(今これを書いてみて何か思うことがあった。私の認識には誤りがある。)よく「自信を持って」と言われる。私も自信のある人が好きだ。べつに遠慮しているわけではないが、見る人によっては彼らの目に私はそのように映るらしい。でも遠慮がちに見える理由を探してみると、自分は人に何か伝える以上、そのものに情報としての価値が必要だと思っているらしい。(「らしい」というのは、今まで自分自身に意識されていなかったものを奥から掘り出してきているのでそうなる。)そして今の自分の歌にはそのような価値は見当たらないと。・・・だがそれは真実だろうか?否、自分が観客だったとして、歌の内容に情報としての価値など求めていない。ただただ、自分の心に触れてほしいと思う。そして音で自分を楽しませて、気持ち良くしてほしいと思う。

 わたしが"du"と歌う時、観客の中に"du"はいない。それにも関らずわたしは宙に向かって"du"と呼びかける。今取り組んでいるのは、現実に作用して何かを具体的に変えようとする種類の表現ではない。(おそらく私の根底にはフォーク的なものが流れている。演説と歌の中間のような。)ではなぜわたしは「それ」を歌うのか?歌うことが生理的に気持ちいい、自分に快感をもたらすという理由以外で、他人に向かって他人の作った歌を歌う意味とは何か?(・・こういう質問が出てくる時点ですでに自分は本当に、こういうことに向いていないと思う。)

 おそらく人前に立ちたいからだと思う。目立ちたがり屋が丸腰でステージに顔を出してもすることはない。そこでできることとは何か?自身のパーソナリティを晒すことだ。自分を捧げる。空間に。それくらい?音楽も好きだし、歌も好きなんだよ。どうかわたしをまだここに居させてください(つづく)