日記1/27

 もし仮に、暇つぶしに私の価値観と真っ向からぶつかるテーゼを投げてきて、私がむきになって反論するのを楽しんでいるとしたら、何て頭が良くてタチが悪いんだろう。デリカシーのなさに真実も主観もあるものか。(私の時間を何だと思ってるの?)

自分を知るためのサンドバッグとしては多少有用だったかもしれないが、他に得るものが本当にない。話していると頭を使わせてもらって面白いけど、本当にただそれだけだ。暇でしょうがなくなったらあの子のとこにいけばいい。何も悪い事していないくせに、論拠がどっか捻じれてて(私が論理学をやっていれば証明できたはず。)うさんくさくて詐欺師みたいな印象を抱かせる。でも私には運がついているようだ。あの子の気分を害することなく、離れることになってしまった。

 

 「変わった人、ひと癖あるひとが気になってしまう理由」

単純に目立つので見てしまうのと、自分らしく生きている結果周囲から浮いてしまったのかな、という風に自分ができないことをしていることにたいする尊敬と周囲に馴染まないことによる本人の不便を想像しての同情が混ざった感情が湧く。そしてその人物の孤独を覗くと、自分の孤独と重ねて共感してしまいさらに見ていたくなってしまう。